かみさまの命日

ことばが好きで短歌をやるクィア

東京に住むようになってから

東京に住むようになってから、低気圧の影響をもろに受けるようになった。きょうはとくべつひどくて、パスタを茹でていたら立っていられなくなり、できあがったものをひとくち食べたら戻しそうになって、すぐに便器へダッシュした。そのまましばらくトイレでうずくまったあと、耳をもんだり回したりしたら楽になった気がして、バファリンを飲んだら数十分ほどで落ちついた。一生これとつきあっていかなきゃいけないのか、と途方に暮れた。

夕方頃までは眠気とたたかい、だいたい夜になると覚醒する。

お笑いの賞レースを観るために休日をとった。きょうはいちにち飲酒をしながらとことん笑うぞ! と意気込み、赤ワインを注ぐ。全組おもしろかった。推している芸人は最終決戦へは行けず、いつ売れるのだろうか… としょんぼり。

賞レースのために叩き抜かれたネタを、一日に10本以上みられるってシンプルに贅沢すぎる。たくさん笑って、賞レースってたのしい。THE SECONDも楽しみだな。

最近はGoogleマップを眺める時間がいちばんわくわくしている。行ってみたい土地の、周辺にある喫茶店や飲み屋をチェックして、ときめいた場所をひたすらリストにぶち込む。現状で400店舗以上保存しており、死ぬまでに制覇したいなとおもう。

おかねがあまりにもなく、不安や焦燥に駆られすぎたストレスのせいか、最近は体調がおかしい。労働で肉体を酷使していたこともあるだろうけど、おかねに余裕があればこんなにギスギスした心身にはなっていない。ずうっとおなかが痛い。

2月はたくさんひとと遊んだので、3月〜5月はおとなしく仕事をします。やりたい仕事もあるし、生活をととのえたい。夏が始まるころに会いましょう。

禁煙をしているのだけど、こんなにもくるしいのは初めて。きょうはチートデイなので3本だけ吸いました。山場は超えたけど、やっぱり食後とコーヒーのあとと飲酒後はむしょうに吸いたくなる。あと締め切りに追われているとき。

恋人がほしいなとおもうことちらほら。でも冷静に考えて、いまのわたしの生活(おかね・時間のなさ)では、できたところでたぶんままならない。全力で愛せないなら意味がない、ということでしばらくは考えないでおこうとおもう。

とにかく今月は文フリ原稿をすすめましょうね。がんばろ〜。

三軒茶屋での暮らし

銭湯で熱い湯に浸かるとき、脳がじゅわっと溶けていく感覚がして、この瞬間のためにふだん肉体を疲れさせているのかもしれないとおもう。

マンションから下北沢まで30分かけて歩くとき、いつもとは違う行き方をGoogleマップが提示してくれたおかげで、水が流れる小道を歩くことができた。

茶沢通りをきょろきょろしながら歩く。よしもとばななの「もしもし下北沢」に登場する主人公のことを想像する。いつか母親と、この街に住むことができたら。

ゆっきゅんとお揃いのピンク色の髪にしようかな。わたしも歌姫になりたい。

自分が自分でいられない場所、というのは息苦しくて、そんなところに身を置いていたらそりゃあ疲弊するよなとおもう。ふー。無意識にため息を吐いていて、やばいやばい!って焦る。

さみしい夜は、いつもより多くたばこを吸ってしまう。でも吸えば吸うほどさみしくなって、息がしにくくなって、ゆうべは2本にとどめて急いでお風呂に入った。yonigeの「対岸の彼女」を浴室に響かせながら水浸しになる。歌う。yonigeの楽曲を聴くたび、牛丸ありさになりたいと毎回おもう。でも誰も牛丸ありさにはなれないから、私は彼女のことが好きなのだともおもう。

「きみを困らせたくなって交差点で踊るよ」が、私にとっていちばんの愛の歌詞。

さみしい夜はなにをやってもさみしいので、さみしさが加速する前に寝てしまうのが吉。ポッドキャストを垂れ流しにして、ひとの声を聞きながら眠りにつく。

睡眠導入剤を飲み始めて1週間が経った。マイスリー。欠かさず30分ほどで入眠できる。だいたい2時頃に眠って、10時前後に目が覚める。6時に眠って13時に起きていた頃とはからだの調子がぜんぜん違う。落ち込むことが減って、昼間は気分がいいどころか若干ハイになっている。ご機嫌なバイブスはご機嫌な肉体から。

三軒茶屋での暮らしは穏やかで、平凡で、つつましくて、心地いい。平日の深夜は車通りが少なくて、休日の深夜はどうしようもない酔っ払いが散らばっている。平日の昼間は買い物に出かけたり、犬の散歩をしたりするひとびとがいて、休日の昼間は人気のケーキ屋にひとびとがずらりと並ぶ。

夢と魚、一歩目のこと。

文学フリマ東京37にサークル参加をしました! という日記です。

前回の文学フリマ東京36では、藤宮若菜さんとのサークル「明滅する彗星」として参加したのですが、今回はうみにくさんとのサークル「夢と魚」として出店しました💐🕊💐

今回販売した歌集「ぼくらはうまれたままの姿で」は、2023年上半期に起こった別れや諦めや絶望をもとに、そこから回復していく感情の揺らぎを眺めながらつくった短歌を収録しています。

なので、2023年5月に販売した歌集「とうめいな暴力、ゆれる祈り」と比べるとかなり短歌の色や温度が違うのではないかな、とおもっています。

うみにくさんには、制作過程で「溺れるちゃんの短歌、湿度が変わったよね」みたいなことを言われたので、知らないあいだにどこかのタイミングで進化したのかもしれないなとうれしくおもいました。(過去に執着したり、過去を恋焦がれたり、過去を後悔したりするのはわたしの性に合っていなくって、どんどん皮を脱いでいきたいなとおもっているので)

 

今回販売した歌集「ぼくらはうまれたままの姿で」から一首。

淡いひかりをくぐって 天国のマックはたしか海沿いにある

来年の文学フリマにも「夢と魚」としてサークル参加する予定です。現時点では!

いまは小説を書いていて、次作では短歌だけでなく詩やエッセイなど色々な文学に挑戦したいというきもちです。

 

それと、今回は既刊歌集「かみさまの匂いがする」も販売していたのですが、少部数だったこともあり、なんと在庫がすべてなくなりました!

こちらの歌集は「溺れる」としての1冊目の本であり、未熟な部分でさえ愛おしい宝物のようなものなので、たくさんのひとの手元に渡ったことが嬉しかったです。

こちらは再販の予定はなかったのですが、最後の方にブースに来ていただいた方に「(かみさまの匂いがする)売り切れちゃいましたか?気になっていたので残念です…」と言っていただいたので、え〜〜〜、嬉しい、くやしい!手にとってほしかった!となったので、次回の文学フリマに向けてもういちど刷ろうかな、とおもいました。

なんとも意志が弱い、けど目の前でそんなことを言ってくださる方を見てしまうと、揺らいでしまうよ〜。多分やります、再販。いつか気がついたときに買ってくださったら嬉しいです。

何人かのフォロワーさんにもお声がけいただいて、いつもタイムラインで見ているひとだ!となり、テンションぶち上がり体験でした。他人に「溺れるさん」って呼んでもらえるの、かなりかわいくてときめきが止まらなかった。どんどん呼んでほしい。

 

どの歌集にとってもそうですが、わたしが吐き出したことばという花束が、知らない誰かの手元でただしくうつくしく咲いてくれるなら本望です。

これからもどんどん創作をつづけていきます。あらゆる文学を駆使して、溺れるとしての思想をぶち撒けて生きていきたいです。